Dear...



滅多にお目にかかれないくらい、気持ちの好い天気だった。
風は熱いが乾いていて、焼きたてのトーストの匂いがした。

「こんな日はやっぱ、昼間っからビールっしょ?」
「莫迦言ってないで手伝って下さい。陽が高くなりきる前に、これ全部干しちゃいたいんですから。」

腕一杯に洗濯カゴを抱えて庭に出てきた八戒が、にべもなく言い渡す。
・・・つまんねーの。どうしてこう妙なところで張り切るかね、この男は。
溜息まじりにハイハイと返すと、悟浄は促されるままに濡れたシーツの縁を掴んで、そそくさと引張った。
パンパンと皺を伸ばされ、几帳面に留められたそれが物干竿ではためく様は、まるで巨大な白旗みたいに間抜けにみえる。

「煙草、風下で吸って下さいね!」

悟空あたりがこのど真ん中に泥だらけのボールでも蹴り込んじまったら、コイツ一体、どんな顔するだろうか?
せっせと洗濯物を陳列し続ける同居人の姿を目の端で捉えながら、悟浄はひとりごちた。

ふと八戒が手を休めて、自らの額に一筋張りついた髪を中指と親指とで取り除いた。
形の好い指先の爪がほんの少しだけ伸びているのを見た瞬間、悟浄の心臓がコトンと音をたてる。

「・・・何。」

ふいに手首を掴まれて、八戒が怪訝な視線を投げてよこす。
中途半端に腕を持ち上げた自分の姿は、きっとだだっ広いシーツみたいに間抜けなんだろうな。
思いながらも悟浄は、なるべく平静な声音を装ってこう言い放った。

「残りは・・・あとにしろよ。」



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「あーあ、やっぱりこのまんまの形で乾いちゃいましたねえ。もう一回すすぎ直さないと。」

洗濯カゴを覗き込むなり、八戒がわざとらしく溜息をついた。
事の余韻にまどろむ悟浄を追い立てて汚れたシーツを引き剥がし、同時に生じた諸々の汚れ物と一緒に洗濯機へ放り込むと、 更にその上でカゴをひっくり返して、乾涸びた今朝の干し残しも同時に入れてしまう。

って、別々にしなくていいのかよ。 そっちはすすぎ直すだけなんだろ?
案外大雑把なパートナーの仕種に、悟浄はククッと笑いを呑み込んで浴室の扉を閉めた。

バスタオルを腰に巻いて部屋へ戻ると、入れ違いで八戒が浴室へと消える。
ベッドには既に、乾いたばかりのシーツがしつらえてあった。髪を拭くのもそこそこに、悟浄はその上へ思いきり身を投げ出した。
窓から流れ込む昼下がりの空気と、洗いたてのリネンの感触が素肌に心地よい。
さながら蜜蜂の羽音のようにぶんぶんと唸る洗濯機の音も手伝って、自然、両の瞼は重くなる。

出し抜けに、マットレスが沈み込むのを背中に感じた。
白いTシャツ姿の八戒が、傍らに腹這いになって、熱心に窓の外を眺め始めた。
何がそんなに面白いのかと、つられて悟浄も視線を動かしてみる。
ちょうど煤けた壁に一葉の絵がかかっているといった風情で、四角い窓枠の中には、よく晴れた空が拡がっていた。
"抜けるような青空"という言葉を、今使わなくていつ使えばいいのだろう。
悟浄がぼんやりとそう思った時、八戒がぽそりと呟いた。

「なんだか、"呪い"みたいだな・・・」
「へ?」

あまりにもシチュエーションから懸け離れた単語に、思わず悟浄の声が裏返る。

「あるんですよ。マグリットにね、ちょうどこんな感じの絵が。」
「マグリット?!ああ・・・石とか葉っぱとか山高帽のおっさんとか、訳わかんないもんが空とんでる、アレか。」

やっと思い出した。町外れのギャラリーでシュールレアリスム展をやっていたとかで、八戒がパンフレットを持って帰ったことがある。

「見ている方が恥ずかしくなるくらい真っ青な空に、ただ真っ白な雲が転々と散らばって・・・まるで芝居のカキワリみたいに単純な絵なんですけど、何故かタイトルが『呪い』なんですよね。」
「・・・へェ。」
「笑顔の裏には怨念が渦巻いているとか、そういった意味なんでしょうか。」
「すっごく、オマエらし〜い発想ね。」
「悟浄!いったいどういう意味ですか、それ。」

口に出したら、ぜってー殺されっけど。
そうやってすぐムキになるとこ、実はけっこうカワイイの知ってるか?

ごろりと寝返りを打って自分も腹這いになると、悟浄は八戒の顔を下から覗き込んだ。

「呪いなんて所詮、ペンキで塗りたくったカキワリみたいなもんだ、ってコトじゃない?」
「・・・なるほど。」

驚くほど素直にそう答えると、八戒は妙にさっぱりした表情で深く頷いた。

「・・・あ。」

ようやく聴き取れるくらいの声で、再び八戒がぽそりと呟く。

「今度はナニよ?」
「まいったな・・・またしたくなっちゃいました。」
「・・・オレもだ。」

八戒の指が、悟浄の頬の傷をそうっと辿った。
悟浄もまた八戒の腹の傷に手を触れようとしたその時・・・唐突に洗濯機の音が停まった。

踵を返して立上がると、八戒は勢い込んで宣言した。

「さてと!今度こそ、全部干してしまいますからね。」
「ま、いつものことだけど・・・オマエ切替え早過ぎ。」

てきぱきと戸口に向かう八戒の背を見送りながら、悟浄は体勢を戻してやれやれと息をつく。
いったんは煙草に火を点けようとしたものの、思い直して後を追掛けると、さっさと並んで洗濯物を干し始めた。
怪訝そうな八戒の視線を頬に感じながら、悟浄は手を休めることなくこう提案する。

「終ったら、行くか。買い物。」
「・・・え? 」
「シーツの替え、あと2、3枚は要るだろ。すぐに乾いてアイロンの要らないヤツな。」
「・・・はい。」

八戒がクスリと笑って、洗濯鋏を手渡した。





                     ~close of this world~



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from Be HAPPY ('04) by Kotaro OSHIO


ちなみに、こんな絵です。


ちょっとばかり遅れましたが、今年も85の日を記念して。
(2004.8.7. 猫)

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