Thursday's child (木曜日の子供)

「だから止めようって言ったじゃないですか!」
「・・・煩え。あ〜気持ちわるっ!」

珍しく悪酔いした悟浄が倒れ込んでいる。
白い洗面台に紅い髪が散って、なかなか美しいですね・・・
ほんの一瞬だけ、妙に冷めた感想が頭を過った八戒だったが、うっとおしく顔に掛かる髪が汚れない様、きちんと頭の後ろで束ねてやることは忘れなかった。

「大体、お前が妙なもん見付けるから・・・」


そもそもの始まりは、いつものように読書をしていた八戒の、ふと目を留めた一文だったのだ。

「悟浄、デンキブランって知ってます?おかしなモノが流行ったのですね、日本では。」

まだ電気の珍しかった明治期、上等舶来の目新しいもの、刺激的なものに悉く「電気○○」の名が付けられていた時代。
ハイカラの代名詞だった浅草・神○バーは、「電気ブラン」と称する秘伝の火酒を振舞うことでも知られていた。

アルコール度数は45度。
六区で観た見世物や活動写真の興奮覚めやらぬままに、人々は琥珀色のグラスを傾けながら会話の花を咲かせる。
刺激的な味覚と仄かな甘味は、口にする者を電気のように痺れさせ、幾組ものモボ、モガ達フ恋をも見守ってきた。

「ブランデー・ベースにワイン、ジン、キュラソー、薬草等をブレンド。配分は未だもって秘伝だとか・・・何だか物凄そうですねえ。」
「面白そうじゃん!作ってみようぜ、せっかくだから。」
「・・・え?」
「流行ったってことは、全く飲めない代物じゃないってことだろ?」

ふと悪戯心を起し、渋る八戒をそそのかしたのは確かに悟浄の方だったのだ。
色水遊びにしては妙に薫りのきつい液体を混ぜ合わせ、ほどなく特製デンキブランが完成する。
口当たりこそ悪くないが、妙に濃くて甘ったるくて、そうそう飲める代物ではなかった。

「ぶはっ・・・これが大流行したってか?」
「チェイサーはビールだそうですよ。試してみます?」

作っちゃった以上は美味しく飲みましょう、と提案する八戒。
チェイサーとは、強い酒を飲む時に添える水、炭酸水等のことである。
するとこれが、意外に美味かったのだ。
ビールの苦味が甘さを中和して、なかなかイケる。
悟浄は調子に載ってグラスを傾け続け、手酌で4杯目を注いだ。
近代文壇の寵児達よろしく、何時になく饒舌になって八戒に議論を吹っかける。

「こりゃあ大したブンカイサンだぜ。俺達ゃ栄えあるデンショウシャ様って訳よ!」
「もう止めた方がいいですよ、口調が変です。こんな強いお酒、ほんの一口飲むためのものなのに。」
「い〜ってい〜って。ほらお前ももう一杯!」

悟浄は忘れていた。ビールとて酒の一種だということも、相手が桁違いのザルだということも。
甘い薫りにうっかり気を抜いた挙句、ついに急激な吐き気に見舞われたという訳だ。


「スピリッツなんてワンショット飲むからいいんじゃないですか!これじゃチャンポンと同じですよ。」
「・・・う〜〜・・・」

背中をさする八戒の掌の温かささえ苦痛に感じながら、悟浄には反論する気力もなかった。

「顔を洗ってみたらどうですか?少しはさっぱりしますよ。」

束ねた紅い髪と対照的に、悟浄の首筋がどんどん蒼白になっていく。
これは相当辛いはず・・・痺れて来た腕を騙し騙し、八戒はその背で掌を往復させる。
悟浄は力なく腕を伸ばして、なんとか蛇口を探り当てた。
八戒に手を添えて貰って、やっとそこから光の束を捻り出す。
勿論、顔を上げることなんかできない。

ふと八戒は、目の前の壁に貼られた巨大な鏡を見やった。
ポーカーの戦利品として、悟浄が先日、硝子屋の親父からせしめたものだ。
「全く、売れ残りを押付けやがって。うちはラブホテルじゃないっての。」
悟浄は笑うが、部屋に奥行きが出るので八戒は結構気に入っている。

撃沈した同居人をなだめる自分が、自分を見ていた。
随分髪が伸びたな。そろそろ切りに行かなくては。

くつろげた白いシャツの胸元で、古ぼけたクルスが揺れている。
あ、ちゃんと鎖も直しておかないと。
きのうも生徒達とドッジボールをやっていて・・・

・・・あれ?

妙な感覚に囚われて、八戒は自分の胸元を見た。
クルスなんか、していない。
緩くなった輪からヘッドが外れて、あれは結局なくしてしまったんだった。
せっかくお揃いだったのにって、花喃に酷く小言を言われて・・・

・・・やっぱり、何かが変だ。また目が悪くなったのだろうか?
鏡の自分から視線を外さないように気を付けながら、八戒はゆっくりと顔の向きを変えてみた。

自分が右を向けば、鏡の中の自分は当然、左を向く。
八戒は何故だかほっとして、ひょいと元の向きに顔を戻した。
鏡の自分も元に戻るが・・・どうもワンテンポ、動きが遅いような気がする。

馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、今度はそうっと、悟浄の背を擦っていない方の手を上げてみた。
答えに自信のない生徒のように、鏡の中の自分もそろそろと、耳の横まで掌を引き上げる。
八戒が唐突に手を下ろした。
確実に慌てた調子で、鏡の男もその動きを追った。


そんな2人の一部始終を、面白そうに見つめる碧の瞳がふたつ。

鏡の中の男の傍らから、長い髪を緩く編んで背に垂らした少女が、八戒に悪戯っぽく微笑みかけていた。


八戒は、咄嗟に傍らの悟浄を盗み見た。
水道水を両手で受けて、ザブザブと顔面に叩き付けることに余念がない同居人は、目の前で起こっている奇妙な事態に気づく気配もない。
何故だかほっとしながら、八戒はほんの少しだけ瞳を見開いて、鏡の中の少女に視線を返した。

蛇口を捜し当てようと、再び悟浄が手探りしている。
手伝ってやろうとする間もなく、鏡の中から華奢な手がすっと伸びると、蛇口を捻って水を止めた。

「あ、サンキュ。」

八戒が止めたと信じて疑わない悟浄は、前髪から水を滴らせつつ礼を言う。
少女はちょっとおどけた表情をして、肩をすくめてみせた。

期待と不安をない交ぜにしながら、八戒は息を殺して部屋の中を見回してみた。
勿論、誰も居ない。居るはずがない。
自分は一体、何を期待しているんだ・・・?
髪を伸ばし、クルスを光らせた鏡の中の男に向かって、八戒は苦笑した。


気がつくと、無表情に視線を返す過去の自分の傍らから少女の姿が消えている。
何だか拍子抜けして隣を見やると・・・いつのまにか、少女はすぐ側に立ってこちらを見ていた。

彼女が鏡から抜け出たのか。自分が鏡の中に入り込んだのか。
そんなことはもう、どうだってよかった。

今度こそためらうことなく、八戒は自分と同じ色の瞳をまっすぐに見つめた。
小首を傾げて懐かしい微笑みを浮かべると、少女は上目使いに彼を見上げた。

恐る恐る、手を伸ばしてみる。少女の肩先に、指が確かに触れた。
何かが急速にこみ上げてくるのを感じつつ、今度はそっと、顔を近付けてみる。
温かな唇の感触が、乾ききった八戒の唇を柔らかく満たした。

肩を引き寄せ、一旦離した唇を、今度は深く合わせようとした時。
少女は微かに眉を寄せると、名残惜しそうに、ふっと身を引いた。

・・・ 何故?

咎めるような視線を避けつつ、掌が八戒の胸を押し返す。

溢れ返る思いは、どうすることもできないのに。

紡ぎ出すべき言葉が見付からず、八戒はやりきれぬ気持ちで少女を見た。
これまでで一番切ない笑みを見せて、愛した女性は僅かにかぶりを振った。


ふと頬に、誰かの視線を感じた。

不思議そうな顔をして、悟浄がぼんやりとこちらを見ている。
八戒は我に返った。ほんの少しだけ、気まずかった。
いつしか少女の姿は消え、鏡には現し世の2人だけが映っていた。

「大分、楽になったわ・・・もー寝る。」
「ああ・・・お休みなさい、悟浄。」

まだおぼつかない足取りで寝室に向かう悟浄を、八戒は見送った。


もう一度だけ、八戒は鏡の中を覗き込んでみた。

鏡の一番奥にあるドアが、薄明かりの中でパタンと音をたてて閉まった。
小さくなった紅い後ろ姿は、その中に溶けて消えた。





                    〜close of this world〜



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from HOURS... by David Bowie ('00)


鏡の中の過去と向き合うのは、同曲pvから得たシチュエーション。
pvに登場する夫婦は倦怠期で、傍らでコンタクトを洗うのに余念のない妻は
夫の様子にてんで無頓着なんだけど。大丈夫、今の八戒には悟浄が居るからね。

浅草の○谷バーでは、今も瓶入り電気ブランを販売しているそうです。
誰か試して感想を聞かせてくれないかなあ。甘いお酒、私は受付けないんで・・・



JUNK HEROINEイシバシミヨジさんが、
素敵なイメージイラストを描いて下さいました。
こちらです。

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