begin the day
















どんなに、苦労してみたところで。
いつだって一粒だけ、残ってしまうというのに。



買い出し途中に露店で一休みする時、何故だか決まって珍珠紅茶(タピオカ入り紅茶)を注文してしまう自分に、八戒は苦笑していた。

労働に疲弊した身体が、いつになく甘味を欲するのは理解出来るとしても。
紙コップの底でごろごろとひしめき合うグミ状の黒いビー玉は、ミルクティーの分量がある割合まで減った途端、どうにも太いストローでは吸い上げることが難しくなってしまう。

なに、理論的には雑作もないことだ。
固体と液体とを同配分で口に送り込みさえすれば、最後まで難なく食することが出来る筈。

だけど今度こそ綺麗に飲み干そうと、どんなに頑張ってみたところで駄目なのだ。
一粒ひと粒苦労して飲み込んではみるけれど、最後の一個だけはどうしても、捕まえることが出来ないのだった。



大蒸籠ごと買い占めた饅頭(マントウ)を積み上げて、 目の前では悟空がエネルギー補給に余念がない。
どうしてこの少年はAいつもこんなに幸せそうな顔をして、食べ物を口に運ぶことが出来るのだろう。

500年間、ずっと待たされたことだから?
気の遠くなるほど永劫の歳月、ずっと待ち望んでいたことだったから?

期待し確信していたものに、巡り会うことの歓びを知っているから?



匙状に切り開かれた中途半端なストローの先で、八戒はますます意地になりながら、もどかしくタピオカの粒を追いかけている。
全ての思考を遮断して、そんな単純作業に余念がないふりをしてみたところで、決まって頭の中に蓄積されていく疑問を、自分自身からは隠すことも叶わない。

いつまで経っても、解けることのない命題。
延々と計算を続けても遂に辿り着くことの出来なかった、円周率の最後の桁みたいに。

彼女は、僕を、待ち望んでは居なかったのだろうか?
僕にとって彼女は、自分の半身だったのに。

何のためにあんな思いまでして、何のためにあんなことまでして、貴女を捜しに行ったと思っているんだ。
貴女にとって僕は・・・いったい何だったのですか?



「母ちゃん、母ちゃん!」
突然、良く通る甲高い声が響いてきた。

見ると大きな天秤棒を肩に掛けた物売りの女に向かって、小さな男の子が両手を拡げて駆け寄っていく。
大方、人混みに紛れて迷子にでもなりかけていたのだろう。
母親は商売道具を道端に下ろすと、胸に飛び込んできた我が子をしっかりと抱き留めた。

気忙しい街の喧噪の中で、そんな他愛のない親子のやりとりを見守っている者は多くない。
だが僅かな休息の場を得て、気持ちのゆとりを取り戻しつつある露店の客の何人かは、その光景に思わず口元を綻ばせていた。
八戒もまた、自分の知り得なかった感情を享受しているであろう少年の姿に視線を奪われ、暫し胸の中を温かなものが流れるのに任せた。

女はしゃがみこんで息子と目の高さを同じくすると、その両肩を抱えて揺さぶりながら、強い調子で何やら諭している。
しかし如何せん、大人の声音は雑踏で容易に掻き消されてしまうから、此処では少しも聞き取ることが出来ない。
そんな母親の態度を一向に意に介さず、男の子がこう言い放つのだけが聞こえた。

「母ちゃんこそ駄目じゃないか、1人で何処かに行ったりしちゃ!ちゃんと俺が傍に居て、悪い奴らから守ってやるんだからね!」

泣き笑いの表情を浮かべながら、物売りの女は幼い息子の頭をしっかりと腕に抱え込む。
小さな用心棒は更に威勢のいい言葉を吐きつつ、何とか母親の腕から脱しようと、じたばた藻掻き続けていた。



見つめる八戒の口元から、再び微笑みが消えていた。
ふと視線を、正面の金眼の少年に戻してみる。
己の食欲を満たすことに忙しい悟空は無心に饅頭を頬張り続け、母子のやりとりには全く気付いていない様子だ。

自分でも予期しなかった言葉が、唐突に八戒の口を突いて出た。
「三蔵が、貴方の居る岩牢の前に現われた時・・・」
「・・・え?」
頓着なしに返ってくる、陽気な視線。
「・・・悟空は、どう思いました?喜んでこの人に就いて行こうと、そう思いましたか?」
紙コップの中へと視線を逸らしつつ、八戒は畳みかけるように言葉を続けた。

「あの時・・・漸く百眼魔王の城に辿り着いて、地下牢で花喃の姿を見つけた時・・・彼女、僕を見て何と言ったと思います?」
一言ひと言、自分に言い聞かせるように。
「『どうしてここに?』って言ったんですよ。『会いたかった』とか『信じてた』とか、そんなことは一言だって言わないで。彼女は僕を・・・待ち望んでは居なかったんです。」

そう、だって僕は、そこから逃げ出すことしか考えていなかったから。

2人で暮らそうと決めた時、決して逃げるとは言わない約束をしたのに。
何かから、誰かから逃げるのではなく、自分達の意志で立ち向かっていこうと、約束した筈だったのに。

だからどんなに「僕が守るから」と言っても、彼女はそれを聞き流してしまった。

僕は、彼女に、期待されていなかったんです。

「でも・・・乗り込んで行ったじゃんか。そのために・・・あんなことまでして・・・」
「彼女を連れて”逃げるために”忍び込んだんですよ。」
魔物の手から、僕たちを虐げた町の人々の視線から。

悟空を連れ帰り、無機質な寺院に乗り込んでいった三蔵とは、訳が違うんです。



口元に白い饅頭の皮をくっつけたまま、悟空がじっと八戒を見つめていた。
大きく見開かれた瞳から、躊躇なく注ぎ込まれる金晴の光。

「・・・八戒はさ。いっつも先生みたいに、俺に色んなこと教えてくれるけどさ。」
がしがしと頭を掻きながら、悟空はゆっくりと言葉を組み立ててみているようだった。
「たまには脳味噌じゃなくて、胃袋で考えてみればいいんだよ。」

「・・・え?」
「関係ないじゃん!一緒に居ると、幸せだったんだろ?腹イッパイの時みたいに、何だかすっごく嬉しくて、気持ちよくって、ぐっすり眠れたんだろ?」
「それはまあ・・・確かにそうです。」
「だったら気にすることないって!八戒のキモチが、それを憶えているんだから。感じるのは頭じゃなくて、キモチだろ?」

空になった大蒸籠を脇に押しやると、悟空は卓上に組んだ腕に体重を載せ、八戒を見上げてにっこと笑った。
「約束したじゃん!もう、名前変えないって。」
「名前・・・ですか。」
「八戒、今話してる時・・・悟能の顔してた。」



悟能の顔、してた。

いやだなあ。僕は猪八戒、ですよ?



やっぱり悟空には・・・敵いませんね。



ストローを引き抜いて傍らの屑籠に投げ入れると、八戒は紙コップを傾けて、残った中味を一気にあおった。
逃げ回っていた最後のタピオカが、難なく喉元に入っていく。
それを胃袋に納めながら、八戒はようやくいつもの笑顔に戻っていた。



あぁ、やっと。

三蔵と悟浄が、戻ってきましたよ。


       〜close of this world〜














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「ビギン・ザ・デイ」
アンディ・サマーズ&ロバート・フリップ『擬制の映像』('84)より





先生が生徒に教えられることって・・・
結構あるんですよね(笑)


ちと展開が唐突でしたので、若干の加筆修正を試みました。
あんま変わり映えはしないんですが・・・
少しは意味が通るようになったのではないかと、ええ。

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